桃の節句
亡き母の誕生日が
ひな祭り 桃の節句と言われる今日でした。
自分の誕生日を祝うようでと亡き母は言っておりましたが、
子供の頃からひな祭りには何も行事はしておりませんでした。
勿論ひな人形もありませんでした。
友達は何かひな祭りと言うとお雛様が飾ってあったり
特別に料理が用意されていたりと
そんなことはまるでなかったので、
私自身 何も気にすることはなく
母の誕生日の為にケーキを用意したり、したものです。

ひな祭りは、古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」「重陽」)の一つにあたります。
の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えてお祝いします。
ひな祭りの起源は諸説ありますが、300年以上前の中国で行われていた「上巳の節句」だという説を紹介します。
ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。
昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。
上巳の節句は、遣唐使によって日本へと伝えられました。
平安時代には「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。
上巳とは、旧暦3月の最初に来る巳の日です。この時期は季節の変わり目なので、邪気が入りやすいと当時の中国では考えられていました。そのため、上巳の日に水辺でけがれを祓っていたのです。
雛人形の位置は関東と京都では違っております。
関東では自分から向かって左に男雛、右に女雛を置きますが、
京都は向かって右が男雛、左が女雛になります。
これは御所の伝統にならったもので、左大臣・右大臣で左大臣が偉いように
左が位の高い位置とされているためです。
天皇から見て日が昇る方角(東)は左 東の方の位が高いそうで御所の紫宸殿は南向きに建てられており反対なので京都とは左右飾り方が違うそうです。
もちろん男雛は天皇 女雛は皇后を表します。
雛祭りは別名「桃の節句」といい、桃の花を飾ったり、桃花酒を飲む習慣があります。
桃は、中国が原産地の植物です。
2500年ほど前から栽培されており、日本には弥生時代より前に伝わってきました。
長寿をもたらしたり、魔除けや厄除けをしたりする力があるといわれています。
柳も生命力が強いことから、健康を祈って縁起のよい桃と柳を飾るのだと言われております。
ここまで無事に生きてこられて
有難うございます。
毎朝ご先祖様方諸々ご挨拶をさせていただいております。
今日も一日志・愛を持って強気で積極的に行きます!
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